契約‐再契約モデルの実践 〜『おおきく振りかぶって』14巻〜

 契約‐再契約モデル論のまとめ


 前の記事では、「動機のアウトソーシングとリインストール(reinstall)」という主人公の“回心”プロセスを彼の成長物語として描く、いわゆる「契約‐再契約モデル」(以下、再契約モデル)についてスケッチしてみたが、今回はその具体的実践例について簡単に語ってみたいと思う。ゼロ魔ハルヒグレンラガンのDVDもない自分の本棚から、ぱっと再契約モデルの良い例を引いてくるのはなかなか難しかった*1のだが、もっとも構造が見やすい作品としてひぐちアサおおきく振りかぶって』を使うことにする。(※一応ネタバレがあります。)

おおきく振りかぶって(14) (アフタヌーンKC)

おおきく振りかぶって(14) (アフタヌーンKC)

 主人公・三橋は才能はあるものの、自分を卑下しがちな、弱気なピッチャーであった。高校に進学し、新興の西浦野球部に入るとそこでキャッチャーの阿部と出会う。阿部は三橋の卑屈な性格に辟易しながらも、三橋の実力を認め、「自分のリード通りに投げればおまえをエースにして、甲子園に連れていってやる」と三橋に告げる。三橋は阿部の言葉によって少しずつ心を開き、西浦のエースとしてチームと共に成長していく……。これが『おおきく振りかぶって』のアウトラインである。我は強いが、自らの投球に自信のなかった三橋は、キャッチャーの阿部にモチベーションを外部委託してエースとして生きることを「決断」する。まさに、“契約”の典型例といえよう。


 だが“契約”によって始動した物語はその揺り戻しとして、主人公とパートナーに関係が「真たる」ものなのかを問い直すドラマを生む。物語自身が、内的成熟を志向して構造上当然に偶然性の超克、自律的な関係の結び直し=“再契約”を要請するのである。それは『おおきく振りかぶって』においても例外ではなかった。西浦バッテリーの場合、“契約の更新”へのきっかけは、試合中の阿部の負傷退場(=パートナーの不在)というチームにとっては甚だ不幸な事件によってもたらされることとなった。


 美丞大狭山戦(11巻〜)で、阿部は本塁でのクロスプレーによって途中欠場を余儀なくされる。三橋は急遽ミットを被った田島と急造バッテリーを組み、美丞打線に対応することになる。これまで全て阿部のサイン通りに投げていた三橋は、田島との“会話”の中で初めて自分の意志を示すことを知り、阿部を喪失したマウンドの上でひとり投手の義務について思い至る。

 オレ 首 振ったのに すぐ サイン くれた
 田島君は いっぱい案 あるんだなー

 首振ると 次のサイン くれるんだ


 ……もし田島君が まっすぐとカーブで迷ってたとしたら
 今 オレと 相談できたのと 同じことだ


 首 振るのは 投手(オレ)の役目なんだ
 あたり前のことなのに オレは今まで
 

 阿部君だけに 責任 負わせてたってことか―

 三橋がはじめて、動機と選択(と、その結果に対する責任)を全てパートナーである阿部に転嫁していたことに自覚的になる瞬間である。そしてすぐに、それが自分たちのバッテリーとしての異常さを意味していることにも気づいたのだろう。「試合が終わったらイロイロ(阿部君と)話をしなきゃいけないんだ」 最終回の攻撃を前に一つの決意をする三橋。

 

 動機と責任を相手に仮託していた自分から一歩踏み出し、真に対等な関係として阿部とのあり方を見つめ直そうとするこのシーンは、三橋の確かな成長を象徴する一コマでもあり、まさに再契約の瞬間そのものでもある。


 結局西浦は最終回の攻撃もむなしく残念な敗北を喫してしまうのだが、それよりも遥かに大事なバッテリー関係の成熟を得たという点で、美丞大狭山戦はこれまでで最も有意義な一戦であった。この14巻を以て『おおきく振りかぶって』は第1シーズンの幕引きとなり、次巻からまた新たな物語の扉が開かれるのだろう。アニメ放映中の15巻の発売が楽しみに待たれる。

*1:しいて言えば、『モテキ』や『神のみぞ知るセカイ』くらい。